この投稿はDE ROSAオフィシャルオーナーズクラブ、Gruppo Sportivo DE ROSA Giapponeの会員専用ウェブサイトのコラムに掲載されたものの転載です。オーナーズクラブのコラムは2週間にいちど、バラエティに富んだ顔ぶれの著者さんに寄稿していただいた原稿をコラムとして掲載しています。今回は6月14日(金)に著者として新たに加わった落合佑介氏の第一回目のコラムを特別に一般公開します。
落合氏は日本のロングライダーの第一人者。サイクリストであれば耳にしたことがあるかもしれませんが、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで、自転車での日本縦断タイム、その記録保持者であり、アメリカ大陸横断レースやパリ~ブレスト~パリなど、自転車で長距離を走るだけでなく、如何にして短時間で駆け抜けるかを日常的に行っている方です。もっとも海外でのライドなどは頻繁に行いません。なぜなら落合氏の日常はフルタイムで働く一般人であるから。だからこそ、週末にいかにして長距離を走るか、その準備やライド中の出来事などを記していただきたく、コラムの原稿をお願いした次第。そして大事なことは、落合氏はDE ROSAでロングライドを行っているからです。現在は838をメインに、コースや距離によってバイクを使い分けられています。
今回の第一回目のコラムは、自己紹介的な内容がメインですが、ご自身がスポーツ自転車に乗るようになったストーリーを綴っていただきました。それではご覧ください。
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わたしはかくしてサドルのうえに
落合佑介
デローザオーナーズクラブの皆様、はじめまして。RPP(ランドナープラスプロジェクト)のライダー、落合佑介と申します。誰?と思われる方も少なくないかもしれません。私は主に長い距離を自転車で走るウルトラロングのライドをたしなんでいます。しかしながら、ロードレースの世界はもちろん、アマチュアレースやシクロクロス等には出場せず、かなりマニアックな世界で活動をしていますので、私のことを知らないという方も多いと思います。
活動の主体は主にブルベ(200㎞~600㎞の認定イベント)への参加で、それ以上の距離は、国内ではフランス人が主催するTJO(The Japanese Odyssey)という2,000㎞~3,800㎞を走るイベント、海外ではPBP(Paris Brest Paris)という、文字通りパリ郊外からブレストの街を往復1,200㎞走る大会、RAW(Race Across the West)というアメリカ西海岸から1,500㎞を走るレース、RAAM(Race Across America)というアメリカ大陸横断レースの4,800㎞完走経験があります。皆さんにはなかなか想像しにくい距離だと思いますが、これをどれくらいの時間で走りきるかをお伝えするとイメージしやすいと思います。例えばアメリカ大陸横断のRAAMは、サポートを受けながら11日間でゴールをしています。その他ではギネス世界記録として、日本縦断記録を保持しています。これは鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで、約2,600㎞を136時間30分という記録です。当時の記録保持者、日本最強のアマチュアレーサーとして有名な高岡亮寛選手の記録を塗り替えたため、とても価値のある記録だと思っています。
さて、今回のコラムは、わたくし落合がどのような人物で、どのようにウルトラロングの世界で戦っているのかを探っていくことが事務局さんの考えるテーマのようなので、まずは自己紹介をしたいと思います。しかし、まったくもって普通の投稿になってしまう気もします。初回打ち切りという事務局さんの賢明なご判断もあるかと思いますので、その時はご了承ください。
(事務局註:それはありませんよ!)
私は1983年に滋賀県、現在の長浜市で生まれました。自転車界隈では有名な「ビワイチ」のコースあたりです。ヒルクライム好きの方には伊吹山ヒルクライムが有名だと思います。麓まで20㎞ほど離れていても伊吹山はとてつもなく大きく、でも近寄ることもなく、琵琶湖のサイクリングロードにも関心はまったくなかった幼少の頃。小学校から高校生の自分にとって自転車といえば単なる移動手段でした。いま考えると、あの頃が最も利便性の良いところに住んでいたような気がします。
では、学生時代の運動能力はどうだったか。まぁ運動は得意な方で、長距離でいえばマラソンは学年で上位に入るくらい。小学校の頃はJリーグの影響を受けてサッカー部に入るものの、中学・高校ではサッカー部が無かったのでテニス部に入り、チームやペアに恵まれて近畿大会に出場したことがあります。おいおい、いったい自転車の話はいったいいつになったら出てくるのかとお思いでしょう。でも、まだ出てこないのです。なぜなら大学時代で特筆すべきスポーツの話はほぼなく、スポーツよりもアルバイトに打ち込む毎日でした。このアルバイトがまた絵にかいたような肉体労働で、ある意味スポーツと言えるくらい(疲れるもの)だったのです。ここではっきりしたのですが、のめり込むのが私の性分。アルバイトとはいえ、すぐに辞めることはなく、全集中で働いていました。のめり込む、集中する、途中で投げ出さない。いま思えば、これらは現在の私につながっているのかな、と思います。
そんな学生時代を過ごした私に、ついにスポーツ自転車との出会いがやってきす。それは社会人になって3年ほどの頃でした。当時の住まいから大阪の仕事先まで中型バイクで通勤していましたが、その距離は片道35㎞。しかし大阪の通勤路は渋滞が多く、所要時間は毎日1時間半で、これが私にとってしんどかったこと。そのため職場から片道10㎞程のところへ引っ越し、マウンテンバイクに街乗り用タイヤを付けて通勤することにしました。改めて思い起こすと、この時クルマを使わなかったことがなぜだったか思い出せません(クルマも所有していました)。そういえば大学時代のアルバイトでも、小径自転車に極太タイヤをつけて5㎞の通勤をえっちらおっちらと。前述した通りアルバイトは体力仕事、なおかつ拘束時間も長く完全なブラックだったので帰りはけっこう辛かった気がします。いや、自らを苦しめたい性癖の持ち主だなんて思いません。が、一般的に言っていまの活動となんとなく接続してしまう気が、しないでもありません。
…話を進めましょう。
こうしてクルマを使える環境にありながらも使わずにいた私。学生時代のアルバイトが酷かったので、社会人の片道10㎞自転車通勤を余裕で楽しんでいたのでした。しかし周囲が私を見る目は違っていたようです。片道10㎞の自転車通勤。それが気の毒と思われていたようなのです。自転車であればせいぜい2~3㎞だろうと。
そんなある日、職場の先輩が声をかけてきたんです。
「落合くんよ、自転車好きなのかい?」
「いや、別に特別好きってわけじゃないですけど」
「でも毎日自転車通勤してるだろ。マウンテンバイクもいいけど、もっと軽快に走れるロードバイクに乗り換えてみたらどうかな。きっと世界が変わるぞ」
ふーん、自転車で世界が変わることなんてあるんかな。でもこの時、自分の周りでは自転車に対する気運が高まっていたんだと思います。
ひょんなことから、仕事仲間3人で淡路島を自転車ライドすることになったのです。当初50㎞くらいのコースを想定していましたが、毎日往復20㎞を乗っていたので、なんだか簡単だなと思って100㎞走るコースへと変更。それでも普通に、何事もなく走り切ったのです。もちろん自転車でロングライドなんて初めてでしたが、この時に思ったことを覚えています。それはロードバイクに乗るサイクリストが多かったこと。だから、ひょっとして、違う自転車なら違った感想(楽しみ方)があるってことなのかな。それが世界が変わるってことなのかな。
あとで分かったことですが、世界が変わるぞと声をかけてきた先輩はロード乗り。職場で10人近いひとに布教活動を行い、その全員にロードバイクを買わせたトンデモナイお方でした。私も見事に騙されて、淡路島ライドを終えてほどなく、ロードバイクを買ってしまったのです。その先輩が乗っていたバイクがDE ROSAのNeoPRIMATOだったということも、いま私がここに慣れない文章を書いていることにつながっているかもしれないと、話しが上手く落ちました。落合だけに。
というわけで、スポーツ自転車との出会いは割と遅めのわたし。でも一般的には変わった自転車趣味へと、急速に傾倒していくのでした。そしてここからどんどん“沼”にハマっていくことになります。もしも次回がありましたらご拝読いただけると嬉しいです。
落合佑介